さて、前回の続きです。
あの2日間の中でパフォーマンスが1番重きを置いていた故、長文となりますがご容赦を。
【8/19 The Last Contestについて】
*まず始めに:長い長い前置き
私がPSSPの存在を知ったのは、DDRを初めて2年目の2000年8月、高校1年の頃。
当然行くことは叶わず、当時常連だったゲーセンから数名が遠征し、そして衝撃を受けて帰って来ました。
中でも、当時DDRやデラにおいて一番影響を受けていた方が「俺達は井の中の蛙だった」「上には上がいることを痛感させられた」と何度も何度も言っていたことが今でも忘れられないのですが、それが私のPSSPに対するfirst impression。
その時彼等が言っていたパフォーマンス評が「高難易度でやったからといって評価されるわけではない、難易度関係なく如何にして格好良く魅せられるか」でした。
自分が実際にその場へ行くことができたのが、3年後のWARS FINAL・PSSP2003。大学進学のためつくばに出てきたばかりの頃でした。
この時初めてお会いした沢山の方々からDDR繋がりの友人が徐々に増えていき、それと同時に名前が出始めたので、自分のDDR歴を語る上でこの2日間は欠かせません。
…パフォーマンスも見ていたはずなんですが、覚えているのがまつきさんのMAX300とおいやんさんのゲタム程度です。
火雪に至っては全く記憶がないという薄情っぷり。
※何せ6年前まではガッチガチのスコア人間だったもので…
そして、月日は流れ、KOFD予選と3rd稼働直後の店舗大会(1999年12月、当時の親友とユニットでダリランのDOUBLE BASICやった)しかパフォーマンスをやったことのない私が、2013年2月のPerformance Festival23にて本格的にパフォーマンスデビュー。
以降、PSSP2018までにトータル6つ(プラス、ユニット「ぺこりめんつゆLady」で2つ)のパフォーマンスを披露することとなります。
余談ですけど、パフォフェスやなごパフォで知り合ったパフォーマー勢は私のガチガチのスコア人間時代を知らないのかな…と思うのですが、それはそれで逆に新鮮かもしれない。
で、漸く本題。
パフォーマンスを始めた翌年…4年前のPSSP2014は出ようかどうか悩みました。
結局出場は見送ったものの、当時「もし出るならこの曲でこういう風に…」という構想を練っておりまして、それが今回のパフォーマンスに結び付いています。
*選曲とコンセプトについて
使用したのは、DDR2013収録のEverything I Need(Single Basic)。
比較的古くも新しくもなく、正直余り目立たない曲ですので、曲被りはまず有り得ないと確信してました。
コンセプトは「失恋の悲しみ、切ない思い」。
まさに曲名・曲調・歌詞通りなので、何を表現したいのかということは伝わりやすかったのではないでしょうか。
5年前、なごパフォ4初心者部門でやったrain of sorrowが今回のに一番近いですね。
…本音を言うと、PSSPに出るなら自分のスコアガチ時代の代名詞であるDAM DARIRAMを使いたかったです。
もし今でも残っていたとしたら、パフォ作るには難しい譜面でしたけど無理してでも使ったでしょう。
*振付について
一時期齧った程度のjazzの振付を参考に、随所にちらほら入れてみたつもりでしたが、下半身殆ど出来てないので全然それっぽく見えなかった。。。
如何せん基礎もへったくれもないから仕方ない。
本当はターンも入れたかったんですが、私の技術不足によりお蔵入り。
イントロで「居なくなった人」追い掛け、絶望したかのように顔を覆って泣きながらふらふらと放浪(しながら定位置に戻っています)。
胸に手を当てたり腕を差し出したり、というような振りが多いです。
サビの部分は2拍刻みの裏のメロディー(?)に合わせてポージングしていってます。
最後から2つ目のフリーズアロー「→」をしゃがみながら取り、そのまま両手を前に差し出しながら崩れ落ちる。
最後のフリーズアロー「←」を左足の爪先で取ると同時に自分自身を抱き締めるポーズで曲が終わります。
*コンボを繋ぐ事について
言わずもがなラストの減速が鬼門、2013当時も苦労しており、お恥ずかしながら未だにPFC取れていません(汗)
フルコン狙わないパフォスタイルであることはご存知の方も多いと思いますが、直前の練習で「最後の1歩まで」高確率で繋がるようになったことと、事前練習を見ていたネギマ君から「ラストが繋がるのと繋がらないのとでは大分違うから、振りを捨ててでもフルコン狙いに行った方がいいですよ」と言われたことで、徐々に意識するように…。
本番二日前に初めてこのパフォを見た火雪から「もっと確実に取れる振りにしたら?」と具体的なアドバイスも貰っていたのです、実を言うと。
しかし、短期集中で仕上げていたため直前の変更という融通が利く状態ではなく、強行せざるを得なく。
本番の筐体のパネル反応(数日前の現地練習で、譜面見ながら取っても一度も繋がらなかった)も考慮すると難しい取り方だったことは事実ですが、結局のところその対策も含めて「練習不足」の一言に尽きます。
りりぃ君はじめフルコンパフォガチ勢は、この辺り何度も試行錯誤を重ねてベストな取り方を選択してるんだろうなぁ…と痛感した次第であります。
最後の最後でコンボ切った瞬間の「あぁ〜…」という叫びとも嘆息ともつかない声が思いの外大きくて、それが更に悔しさを煽りましたよね…。
狙ってはいなかったけど、やっぱり悔しいは悔しいです、はい。
*衣装等について
動画見てリアルでOTLしたのですが、あんなに透けてるとは思いませんでした…お見苦しくて申し訳御座いませんorz
衣装は曲のジャケットに合わせたつもりなんですが、本当は青と緑なんですよね、これ。
ずっとあれやこれや手を尽くして探してみたものの、理想の色合いのものが見つからず…。
結局、去年の新婚旅行の際ハワイ某所で購入したあのキャミソールドレスにしました。
(ほんとどうでもいい余談ですが、恐らく当時のレートでも3000円未満の安物なのですが、結構お気に入りの1着でして←)
そして、衣裳に合わせて髪染めて、前日にネイルして、イヤリングを作り(なお本番つけ忘れた揚げ句片方なくしました😭)、当日のメイクも寒色系に。
ここまで外見に拘ったのは初めてでしたが、曲や雰囲気に合ってて良かったよという意見が多かったので満足です!
*当日の出番前の小噺など
何せPSSP出場初めてだし、10番までには呼ばれるだろうと思っていたのですが、なかなか呼ばれず……。
近くにいたpenkoちゃんや火雪の出番が先に来てしまい、「はよ名前呼んでくれえええ」状態でした。。。
更に、自分の2つ前だったCYBERさんの号泣にもらい泣きしそうになり、その直後名前呼ばれたことに気付かず、りりぺん夫妻と火雪に「アンタ呼ばれたよ!」と言われて慌てて控え場所に向かうという動揺っぷり。。。
後日、その時の様子を見ていたMiUさんから「凄い神妙な顔してたから相当緊張してんなーと思った」と言われましたが、大正解です(苦笑)
*今だから言える本音
今回のパフォ、りりぃpenko夫妻と被らないか本気で心配していたので、お二人が違う方向性でホッとしました…。
ほんのちょっと触った程度の自分では、jazzの技術はお二人の足元にも及ばないので、「りりぺんの劣化コピー」くらいのこと言われても仕方ないと本気で思ってた(汗)
あとね、今回フルコン続出してましたけど…火雪がフルコンしたの想定外どころかものすごーくプレッシャーだったからね!!(苦笑)
*順位について
自分はトータル38組中26位、シングルだと31人中21位。
ある程度納得はしているものの、やはり半分より上には行きたかったという悔しさはあります。
そこは自分の実力不足であり練習不足。
今回の大会の性質上、スコアラーとしての私を知っている審査員が居るとしたら「スコアラーのナツメさんがパフォやってる!」的な好意的な補整が入っていてもおかしくないと思っていて、それを加味してこの順位という現実。
やはりまだまだ課題があるという事です。
正直、「勝ちに行く」ことを意識する余裕はなく、自分がやりたい事をどう表現し、振付に落とし込むかしか頭にありませんでした。
なので、順位はもう結果でしかないなぁ…と。
個人的に思ったことは…審査員によって点数の触れ幅が大きいよね。
火雪から「玄人向けで審査員泣かせ」って言われたけど、それ貴方に1番言われたくないわ!!ヽ(`Д´)ノ←
*周りの感想やその他駄文
お世辞や社交辞令等々あると思いますが、色んな方々から好意的なコメントを頂戴しました。
りりぃ君からは「ナツメさん史上最高でした」と、ハンサムさんからも「個人的にお気に入り、成長を感じた」と言ってもらえましたし、
mistちゃんや10年以上ぶりにお会いした.k3さんをはじめ沢山の方々から「凄く感情が込もってた」という何よりの誉め言葉を頂けました。
本当にありがとうございます。
私は本番中気付かなかったのですが、控室でハンサムさんか次男さんから(だったと記憶しているのですが)「ナツメさんの時だけ手拍子がなかったんだよ」と言われまして。
俄には信じがたく、翌日枝豆さんが上げてくださった動画全て確認したら、曲調的に叩きにくいPluto(jax-7さん)でさえ手拍子あったのに、私だけなくて驚きました。
それは即ち、自分が最も重きを置いていた「感情表現」に引き込まれていただけた結果、ということでしょうか…。
そうであるならば、個人的にはその事実が何よりの評価であり賛辞であると認識しております。
…それと、割と多かった「ナツメさんに火雪さんが乗り移ってた」との評には、思わず笑ってしまいました←
※本人そんな意識無いどころか「ヤツとは系統が全然違うでしょ!!」くらいに思っているようです
*長くなりましたが、最後に一言
私の中で「PSSPのパフォーマンス部門に出場する」ということ自体がとんでもなく敷居が高く、中途半端にパフォーマンスやってきた自分が出ても良いものなのか…とかなり悩みました。
悩みに悩んだ末、「今回が最後」という言葉に背中を押され、清水の舞台から飛び降りるくらいの心境で参加を決めた次第です。
直前になって一気に練習を詰め込むことになり、こんな状態で出て大丈夫なのか…とプレッシャーが半端なかった。
しかし、全てが終わった今、勇気を出して出場して良かったと心から思っております。
こんな超・長文を最後まで読んで下さった皆様、有り難うございました。
良かったら、感想や批評などコメントにてお待ちしております。